1. 毛髪キューティクル角化に関わるタンパク質群の研究
みなさんは、「櫛でとかせない毛髪症候群」ってご存知ですか?
髪の毛がゴワゴワになって櫛が通らない。その症状の原因遺伝子を2016年になってドイツのグループが同定しました(Basmanav, et al. Am. J. Hum. Genet., 99, 1292-1304, 2016)。 この症状には主に3つのタンパク質関連しています。タンパク質は本来の姿とは異なる姿(変異)になってしまうと、その本来の働きができなくなります。3つのタンパク質のうち特に多く変異が見つかっているのが、PAD3(peptidylarginine deiminase type III)とよばれるタンパク質です。
PAD3は毛髪のキューティクル細胞というところにたくさんあるS100A3という小さなタンパク質を少し変形させる反応をするタンパク質・酵素です。この酵素(PAD3)はカルシウムイオンがあると働き始めます。S100A3の中にあるアルギニンというアミノ酸の1つをシトルリンというアミノ酸に変換する(“翻訳後修飾”という)化学反応を行います(図1)。そうすると、不思議!S100A3は集合して二倍~三倍の大きな構造になります。ただ単に大きくなるだけでなく、形も大きく変わります。また、さらに不思議なのは、S100A3はカルシウムイオンを良くくっつけるようになるのです(図2)。つまり、細胞内にカルシウムイオンが余分にある状態になると、PAD3が働いてS100A3を使ってカルシウムを集めるようなことがキューティクル細胞内では行われていることになります。また、さらに不思議なのはこの構造変化によりS100A3は亜鉛イオンも良くくっつけるようになります(図2)(Kizawa, et al., J. Biol, Chem., 283, 5004-5013, 2007)。亜鉛やカルシウムを良くくっつける生理的な意義はまだ未解明のことが多いのですが、両方のイオンとも様々なタンパク質とくっついて、そのタンパク質達をコントロールするイオンです。この不思議な現象は「角化(かくか)」と呼ばれる髪の毛が出来上がるときに起こることがわかっているため、正常で健康な毛髪をつくり出すのに必須の生理現象のようです。現に、S100A3やそのシトルリン化の割合が少ないと、髪の毛はダメージを受け、また、それは加齢とともに顕著となることがわかっています(Takahashi, et al., J.Cosmet. Dermatol., 15, 211-218, 2016)。
また、毛髪内にはPAD3の他によく似た酵素(アイソザイム)、PAD1とPAD2も存在しています。S100A3と一緒に存在しているのはPAD3が圧倒的に多いのですが、PAD1やPAD2もS100A3と出会うときがあります。試験管の中で反応させるとPAD1やPAD2はS100A3の中の1つのアルギニンだけでなく、全て(S100A3の中には4つアルギニンがある)のアルギニンをシトルリンに変えます。PAD1もPAD2もPAD3も非常に似ているのですが、PAD3だけが1つのアルギニンを主に選んでシトルリン化するのは(できるのは)なぜでしょうか。とても不思議です。私達のグループでは、このような酵素反応の違いを原子どうしの関わり方で解明しようとしています。
私達のグループは、原子1つ1つが観える解像度で、それらのタンパク質それぞれやタンパク質同士の結合、カルシウムや亜鉛イオンとの結合を可視化したいと考えています。今まで、PAD3(Funabashi, et al., Arch. Biochem. Biophys. 708, 108911, 2021)およびPAD3と似た酵素であるPAD1(Saijo, et al., J. Mol. Biol. 428, 3058-3073, 2016)や、S100A3の立体構造(Unno, et al., J. Mol. Biol. 408, 477-490, 2011)は、ある程度の高解像で明らかにしてきました。しかし、S100A3がカルシウムイオンや亜鉛イオンをくっつけて集まって大きくなった構造はまだぼんやりした像しか観ることができていません(Kizawa, et al., Biochim. Biophys. Acta, 1833, 1712-1719, 2013)。ですから、S100A3がシトルリン化された後、どうやって金属イオン(カルシウム、亜鉛)を結合するのかは全くわかっていません。さらに、なぜ、PAD3がS100A3の特定のアルギニンを選択的に認識するのかも残された課題として解決できていません。
一方で、S100A3のシトルリン化に注目して、シトルリン化をまねしたS100A3の変異タンパク質(人工タンパク質)の調製とその性質の評価も行っています(Ite, et al., ACS Omega, 5, 4032-4042, 2020)。もし、シトルリン化に似たS100A3タンパク質を大量に得られれば、年齢を重ねても髪の健康を保てるのではないかと考えたからです。現在までにまつ毛に対する実験を行っていますが、面白いことがわかってきました。
毛髪の健康・若さを保つためにはどうしたらよいか?今後の展開に期待してください!


2. 光合成や光応答に使われるビリン色素の生合成や光応答メカニズムの「水素原子レベル」での解明
太陽の光を集める色素。光合成をする生物の中でこれを作っている酵素は不思議な反応をコントロールしています。また、色素を含んで光に反応するタンパク質もあります。どちらも水素イオン(プロトン、H+)を巧みに利用しているようだということがわかってきました。私達はタンパク質中のプロトンを可視化することで、それらの不思議なメカニズムを解明しようとしています。
植物や紅藻類、シアノバクテリアなどの光合成生物は、光を集めるためにアンテナのような役割を果たすタンパク質を持っています。高等植物は光を集める大きなタンパク質(集光性複合体;LHC)を発達させ、光を集める色素としては「クロロフィル」を有しています。一方、紅藻やシアノバクテリアでは「フィコビリソーム」という大きなタンパク質の複合体が発達し、効率よく光を集めエネルギーを生産しています。フィコビリソームの中でまさにアンテナのように外に飛び出しているタンパク質群の中には「フィコビリン」と呼ばれる色素が含まれています。フィコビリンの一つ、「フィコシアノビリン」は、PcyAという酵素(タンパク質の一種)によって作り出されています。また、フィコシアノビリンは高等植物の「フィトクローム」と呼ばれるタンパク質に内包され、こちらでは、光を受け取り信号を伝達する「センサー」としてはたらき、開花や落葉・紅葉などを制御しています。
PcyAという酵素の反応はとても独特です。ヘム(我々のヘモグロビンの中にも含まれている鉄を含んだ化合物)の分解産物であるビリベルジン(以下、BVと略します)を還元してフィコシアノビリンを作ります。フェレドキシンという小さな電子伝達タンパク質から電子をもらい、ヘムの還元によりビリン色素を作る酵素をフェレドキシン依存性ビリン還元酵素(Ferredoxin-Dependent Bilin Reductase; FDBR)と総称しますが、PcyAはD環を還元できる酵素です。また、D環のビニル基を還元した後、A環も還元するという、酵素としては珍しく2か所を順番を間違えずに還元反応します(図2-1)。
私達は、酵素とこれらの化合物との立体的な相互作
用を、水素原子が見える解像度で解析し、この不思議
な反応メカニズムをそこから解明しようとしています。
タンパク質の立体構造を解明する方法としてはX線結晶
構造解析が最も強力です。しかし、X線結晶構造解析で
は、水素原子を見ることは非常に難しいので、私達は
中性子結晶構造解析を手法の一つとして使います。た
だし、中性子結晶構造解析を行うためには、その目的
タンパク質の結晶をとても大きく育てなければなりませ
ん。タンパク質のような生体高分子の「結晶を大きく育
てる」ことは容易ではなく、この研究は「メカニズムを
解明する」「構造を解析する」前に、「結晶を大きくす
る条件を見つける」ことが大きな壁になっています
(Igarashi, K., et al., Cryst. Growth Des. 18, 5174-5181,
2018)。
私達は2015年にPcyAとBVが結合した状態の構造を中性子で明らかにして、水素の立体的な結合位置を可視化することに成功しました(Unno, M., et al., J. Am. Chem. Soc. 137, 5452-5460, 2015)。反応のスタート時の水素の立体的な位置がわかったわけです。X線ではわからなかったことがいろいろわかってきました。今後は、反応途中の水素の位置を解明し、どのように「還元反応」が進行していくか、ということを水素原子レベルで解明します。
また、PcyAの重要なアミノ酸を別のアミノ酸に変異させると、基質BVと結合
したときの色が変わってしまうものがありました。また、その特殊な変異体では
酵素反応が途中で止まってしまいます。私達のグループは、このときに水素原子
が結合する状態が変わってしまっていることを明らかにしました(Joutsuka, T.,
et al., J. Biol. Chem. 299, 102763, 2023)(図2-2)。酵素反応の神秘を解き明か
すことは、このような重要な光合成色素を人間が効率よく合成する方法を提示す
ることになることもあるでしょうし、遺伝子改変した菌によって、様々な機能性
の色素を創らせることも可能になるかもしれません。そういった意味もあり、
フィコシアノビリンとは異なるフィトクロモビリンという色素(フィコシアニン
に非常に似ています!)を合成する酵素HY2についても同じような手法を用いて
研究をしています。
これらと並行して、フィコシアノビリンを結合してはたらくタンパク質達の研
究も行っています。1つは光合成の光アンテナとしてはたらいているフィコビリソ
ームのロッド部分を構成する主要タンパク質「フィコシアニン」です(図2-3)。
フィコビリソームは、光量子の吸収および励起エネルギーを光合成で使えるよう
にし、エネルギーを伝えるはたらきをしています。フィコビリソームの中には、
異なるエネルギーをもつ光を吸収するために異なるビリン色素を複数種類もって
います。それによってシアノバクテリアが太陽の様々なエネルギーの光を利用す
ることを可能にしています。フィコシアニンがどのように光を吸収し、エネルギ
ーを伝達していくかは非常に興味深いことです。フィコシアニンの中にあるフィ
コシアノビリンは酸性アミノ酸や塩基性アミノ酸に囲まれており、プロトンの関
与が考えられます。このことを明らかにするために、フィコシアニンの中の水素
原子を可視化しようとしています。また、もう一つ興味深いこととしては、水素原子を視ることができるタンパク質は小さなものが多いのですが、フィコシアニンは比較的大きな分子です。大きなタンパク質分子の中の水素原子を可視化することも非常に挑戦的です。
さらに、フィコシアノビリンを結合して、光のセンサーとしてはたらいているタンパク質の研究も同様に行っています。例えば、水中に住むシアノバクテリアもその深さによって色が異なります。これは、水の深さによって届く光の波長(エネルギーともいえる)が異なるため、それらの光を出来るだけ無駄の少ないように効率的に吸収するため、フィコビリソームのロッドの中にあるタンパク質の種類を変えているのです(「補色順化」といいます)。(フィコシアニンを含む)それらのタンパク質は、持っている色素が違っていて、吸収する光の波長が異なるため、違う色をしているのです。こうして、生きるために発現するタンパク質のバランスを変えているのです。それらの発現をコントロールしているタンパク質にもビリン色素を含んだものがあり、光スイッチとなっているのです。そのセンサータンパク質の色素が信号を送るためには、やはりプロトンが動くことが予想されており、私達はそれを可視化しようと考えています。
水素原子一個の違いが、光エネルギーの利用の効率を変える!これを可視化することができれば、光エネルギーの効率の良い利用方法がわかり、新しい方法を生み出せるかもしれません。


3. DNA損傷修復に関わるタンパク質の構造と機能に関する研究
私達の身体の中にあるDNAは、先祖から引き継がれ、子孫へと受け継がれていきます。私達の身体や性質の特徴をがその中には埋め込まれています。ですが、、、、DNAという物質は、様々な要因によって日々傷つき、変化を受けてしまいます。例えば、紫外線やX線あるいは化学物質や活性酸素などを浴びると、先祖から引き継いだものも予期せぬ形に変わってしまいます(多くの場合はDNAのダメージ・損傷といいます)。DNA損傷を放っておくと、がんや神経変性疾患になったり老化を進める原因になったりしてしまいます。ところが、私達の身体の中には、それらから負った変化を修復する機構が備わっています。その反応は非常に複雑でユニークなものと考えられています。また、DNA損傷修復にはいくつものタンパク質が関わって、助け合っています。
DNAの損傷によって、はたらいているタンパク質は異なります(しかも多数あります)。DNAの損傷の修復の仕方がわかれば、それを利用したがん治療薬や、放射線増感剤の開発による効率的ながん放射線治療につながると考えています。
現在、私達が研究しているDNA損傷修復に関わる2つのタンパク質について紹介します。
3-1. グアニンの酸化でできる8-オキソグアニンを修復する酵素OGG1の反応機構解明
DNAはヌクレオチドという単位がつながったものです。ヌクレオチドは中心に糖(ペントース; 五単糖)を含んでいて、そこに塩基とリン酸基が結合しています。DNAの塩基には、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類があります。その中のグアニンは最も酸化されやすく(つまり、「酸化損傷」を受けやすく)、主に活性酸素種 (reactive oxygen species:ROS) によって、その8位の炭素に酸素がくっついた8-オキソグアニン(8oxoG)になってしまうことがあります(図3-1)。DNAの塩基は決まったペアを形成するため、DNAは二本が結合して独特のらせん構造(二重らせん)を形成します。この塩基のペアのことを「ワトソン-クリック塩基対」といいます。グアニンも8oxoGもシトシンと特異的にワトソン-クリック塩基対を形成(G:C塩基対)しますが、N-グリコシド結合で反転した8oxoG (syn) は別の部位(フーグスティーン面)を介してアデニンとも安定な塩基対を形成してしまいます。これは、正常なグアニンにはないことで、塩基が入れ替わってしまう、ということを意味しています。正常なG:C塩基対が、間違った塩基対形成によって、次の次のDNA複製でT:A塩基対に変わってしまいます(図3-2)。
このDNAの酸化損傷塩基は、塩基除去修復 (base excision repair:BER)という 経路で修復される ことがわかっています。BERの最初のステップでは、まず、DNAグリコシラーゼ (N-グリコシド結合を加水分解する酵素) によって損傷塩基が除去されます。DNAグリコシラーゼには、「単機能グリコシラーゼ」と「二機能グリコシラーゼ」 があり、単機能グリコシラーゼは、N-グリコシド結合 (DNAの糖と塩基の間の結合) を切断するグリコシラーゼ活性のみを触媒します。それに対し、二機能グリコシラーゼは、グリコシラーゼ活性に加えて、脱塩基部位の3’末端を切断するAPリアーゼ活性も触媒します。ヒトDNA中のシトシンと対合した8oxoGは、二機能グリコシラーゼであるhuman 8-oxoguanine DNA glycosylase 1(hOGG1)によって除去されます。
hOGG1の反応では、249番目のリシン残基(Lys249)と268番目のアスパラギン酸残基(Asp268) が必須であることが報告されています。また、後半のAPリアーゼ活性は比較的よく研究されており、反応機構についても良くわかってきています。APリアーゼ反応の中では、Lys249がDNA鎖との共有結合中間体を形成し、主な触媒塩基であることが同定されています。一方、前半のグリコシラーゼ反応については、反応機構が良くわかっていません。Asp268をアスパラギンに変異したD268N変異体はグリコシラーゼ活性を完全に失うことが報告されており、Asp268がグリコシラーゼ反応におけるもうひとつの重要な触媒残基であることが示唆されています。また、hOGG1類縁酵素のアミノ酸配列を比較すると、Lys249はhOGG1や大腸菌のEndo IIIのような二機能グリコシラーゼでのみ保存されているのに対し、Asp268は二機能グリコシラーゼに加えてAlkAやMutYのような単機能グリコシラーゼでも保存されており、Asp268がグリコシラーゼ反応の本質的な触媒残基であることが推察されています。
私達は、この前半のグリコシラーゼ反応の機構を、立体的に可視化することによって明らかにしようとしています。つい最近、Lys249をヒスチジン(His)に変異した変異体(K249H)の反応を様々な方法(生化学的な手法、NMRやX線結晶構造解析、および量子科学を導入した計算化学)で調べ、K249Hの反応機構を提唱しました(Unno, M. et al., Nucleic Acids Res., 53, gkaf718, 2025)。この成果は注目される論文である、NAR Breakthrough Articleに選定されただけでなく雑誌の表紙にも掲載され大変注目を浴びていますが、まだ、現段階の変異体の反応機構を提唱したに過ぎず、これからさらに研究して、本当の酵素反応の機構を詳細に明らかにしていくつもりです。
3-2. 放射線の照射で生じるDNA二重鎖切断損傷の修復に中心的な役割を担うタンパク質とその機能 を阻害する化合物の研究
がん治療の方法の一つに、放射線治療があります。がん放射線治療では、正常な組織への放射線照射をできるだけ避けて、がん組織のみに放射線を照射する方法が非常に進歩してきましたが、装置面からの線量集中性に関してはほぼ完成に近いことから改善の限界が近づいている、という実情があります。また、どのように装置を改良しても周辺正常組織の被ばくをゼロにはできません。周辺組織の被ばくリスクを下げる有効な手段は総線量そのものを低減することが一番です。そこで、がん組織への照射効果を維持しつつ、全体の線量を減らせるような生物学的側面からのアプローチが必要です。そのため、放射線に対して細胞が敏感になるような、放射線増感剤の開発が長年行われています。放射線増感の標的となり得るのは、放射線による損傷の特徴の一つであるDNA二重鎖切断(DSB)の修復に関連するタンパク質です。
タンパク質NBS1は、主要なDNA損傷修復経路の一つである「相同組換え修復」(HR)に機能していることがわかっています(Tauchi, H. et al. Nature 420, 93-98, 2002)。MRE11-RAD50-NBS1(MRN)複合体はDNA二重鎖切断(DSB)の検出・処理・修復開始を担う「DNA修復の初動部隊」です(Williams, R. S. et al., Biochem. Cell Biol. 85, 509-520, 2007)。DSBにおいては、MRE11=切る、RAD50=つなぐ、NBS1=司令塔という役割を担っています。NBS1はDNA損傷の情報を細胞全体に伝え、修復システムを起動します。ATM キナーゼというリン酸化酵素(様々なタンパク質にリン酸を付加する酵素)を活性化し、細胞周期停止や修復シグナルを全身に伝えます。また、MRE11・RAD50を損傷部位にリクルートする「案内役」となります。さらに、DNA損傷応答(DDR)の調整役として、チェックポイント制御に深く関わっています。このNBS1を阻害すれば、放射線損傷修復が抑制されると考えられます。すると、その化合物は放射線増感剤となりうるということです。
私達は、最近になって、ヒトNBS1のN末端部位の立体構造を明らかにしました(論文投稿中)。ただ、未だにそこにその部位にはまるような化合物は見いだせていません。この研究では、NBS1の立体構造を基にした放射線増感剤の開発を目指しています。


4. 緑膿菌由来マイクロヘムエリスリンの構造と酸素結合機構に関する研究
緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)は、世界中の医療体制にとって極めて深刻な脅威となる病原体であり、身体の様々な部位において治療が極めて困難な日和見感染症を引き起こします。緑膿菌が病原体として高い適応力を示す背景には、複数の要因が複合的に関与しています。それらには、抗生物質耐性、さまざまな病原性分泌因子の産生、生体組織や埋め込み型医療機器の表面において抗生物質や免疫細胞の攻撃に抵抗性を示すバイオフィルムを形成する能力、そして多才な代謝能力などが含まれます。バイオフィルムや慢性感染によって生じる低酸素または無酸素環境下でも増殖できるという顕著な能力が挙げられます。
細菌が自分たちの「人口密度」を化学物質で感知し、集団として行動を切り替えるための細胞間コミュニケーション機構をクオラムセンシング(QS)といいます。緑膿菌では、病原性因子の発現・バイオフィルム(ヌメヌメした最近の集まり)形成・抗菌薬に対する耐性など、感染症の重症化に直結する多くの性質がQSによって制御されています。QSに関与する遺伝子であるlasRは、しばしば変異を起こし、はたらきがおかしくなってしまいます。緑膿菌のLasR欠損(LasR−)株は、様々な病気の患者からだけでなく、環境中にも見られるそうです。LasRに変異を持つ株は、正常な株と比較して、微好気的環境下で Anrレギュロンの発現量が高くなることが示されています (Hammond, J. H. et al., MSphere 1, e00140-16, 2016, Hammond, J. H. et al., J. Bacteriol. 197, 2810–2820, 2015)。Anr は転写因子で、酸素濃度が低下すると活性化し、数百の遺伝子群(レギュロン)を一斉に制御します。転写因子(Transcription Factor, TF)とは、 「どの遺伝子を、いつ、どれくらい発現させるか」を決める制御タンパク質です。(細胞は常にすべての遺伝子を発現しているわけではなく、 状況に応じて必要な遺伝子だけを選んで使います。 その“選択”を担うのが転写因子です。)緑膿菌の Anrレギュロンには、微好気呼吸・嫌気呼吸、発酵、微好気条件下でのエタノールの酸化(エタノールを炭素源・エネルギー源として使う)や、ヘムエリスリン(Hr)様タンパク質 PA14_42860 (PA1673) を含む多数の推定タンパク質(hypothetical proteins)をコードする遺伝子群が含まれています。このPA14_42860 (PA1673)が後にマイクロヘムエリスリン(Mhr)と名付けられたタンパク質です(Clay, M. E. et al., PNAS, 117, 3167-3173, 2020)。
Hrは当初、無脊椎動物であるワームやヒル類の体液および組織において、酸素の結合と輸送を担うものとして報告されました。近年の遺伝子の研究により、Hrはあらゆる生物ドメインに存在することが明らかになっていますが、細菌のHrの役割については、真核生物のHrにおける役割ほどには解明されていません(Alvarez-Carreño, C. et al., PLoS One 11, e0157904, 2016)。他の菌での研究では、Hrが酸素との結合や、好気的代謝を支える酸素の輸送・供給への関与を通じて、細胞の中の酵素と酸素との相互作用を制御する役割を担っているという考えられています。
近年、野生型とのコロニーバイオフィルム形成時における∆lasR変異株(lasR遺伝子が無い株)の適応度が、AnrおよびAnrによって制御されるMhrに依存していることが示されました(Clay, M. E. et al., PNAS, 117, 3167-3173, 2020)。LasR機能の喪失に伴いMhrの発現量が上昇することが報告されています。野生型においても、Mhrは微好気条件下での適応度維持に特異的に重要であり、∆lasR変異株に対し
ては、微好気条件および正常酸素条件下のコロニーバイオフィルム
において優位になるようにはたらいているようです。Mhr と同じ
タイプの Hr(di-iron Hr)は他の細菌にも存在しますが、 緑膿菌
の Mhr と完全に同じ機能を持つものはほぼ無いようです。Mhrは
低酸素下でもうまく生きていく(機能できる)ようにできている
ようなのです。よって、緑膿菌も低酸素下でも生きていけるのです。
そこで、私達はMhrの構造、酸素結合機構を解明しようと考えま
した。緑膿菌は、抗菌剤に対して、耐性をもってしまうので、日和
見感染を抑えるために緑膿菌の増殖を止めるためには、文字通り「
息の根を止める」という戦略がいいのではないか、と考えるわけで
す。Mhrの立体構造は、私達が研究を始める時点ではまだ報告があ
りませんでしたので、これを原子レベルの解像度で明らかにするこ
と、「どうやって酸素を結合するのか」ということを明らかにしたいと考えています。
海洋軟体生物のHrの構造は既に報告されており、酸素結合様式も一応わかっています。そこから、様々な方法で、酸素の結合に際してはプロトン(H+)が動くことが示唆されています(図4-1)。さて、Mhrではどうでしょうか?
